私たち"FINELUZ"が思うこと



「楽しい」で溢れる「遊び場所」に


昨今、公園の減少や大人が決めたルールによって子供たちの「遊び場」が奪われ、習い事の増加で「遊ぶ時間」も失われつつある。

子供たちにとってとても生きづらい世の中になりつつある現在、我々大人に出来ることは何だろう・・・

 

FINELUZというサッカークラブはそんな子供たちにとっての「遊ぶ場所」でありたいと考えています

 

仲間と遊ぶ楽しさや遊びだからこそ出来る経験が昔は「公園」に行けばありました。子供とは遊びながら成長するものです。

そんな子供として遊びながら成長してきた我々大人が、現在の子供たちに「遊ぶ場所」と「時間」を提供することは、未来に触れるとても大切な義務だと思います。 

 

日本の伝統である武道の精神や体育的指導から、グローバルな時代へ移り変わり少しずつ「スポーツ」への認知と理解が進んでいるのを感じます。「スポーツ」とは「遊び」の延長であり、理不尽に苦み耐えながら続けたり、誰かに強制されてするものではありません。

 

とりわけ子供たちにとってサッカーやスポーツとは「楽しい」で溢れている必要があります。

子供たちが誰かに虐げられたり、苦しい思いをすることなどあってはならないことです。

 

FINELUZはスポーツを「楽しい」で溢れる場所にしたいと考えています

 

「今日はこんなことがあったよ!」と帰った子供が笑顔で話し、家庭に明るい風が吹き込むような話題を子供が自分の世界から持って帰ってくる。そんな「素敵な光」に。

 


サッカーは「習い事」ではない


多種多様な習い事が増え、スポーツも”スクール”と打ち出す世の中でサッカーとは何なのか。スポーツとは何なのか。

ピアノや学習塾などの大人に「教えてもらいに行く」習い事とサッカーが決定的に違う点は何か。

 

自分の中から”溢れ出てくる”もの

サッカーは「大人に”教えてもらい”にいくもの」ではない

 

サッカーにおいて子供も大人も関係なくプレーヤーが主役であり、プレーヤーは自分の中から生まれる感情がプレーのエネルギーとなります。

そのエネルギーの元となるのは人により内的であったり外的であったりと様々ですが、子供たちにとってのそれは「好き」や「楽しい」などの内的動機ありたいと考えています。自分がプレーヤーとして主体的に考え行動するからこそ楽しく、上手くなり、好きになる。

 

サッカーは”誰かに教わる”ではなく”仲間と遊ぶ”もの


学力以上に将来必要な「非認知能力」を育む


昨今の教育現場でよく耳にする「非認知能力」とは、点数への数値化が難しい内面的な能力であり、人生の幸福度などに関係する研究も出ています。

意欲(集中力・学習志向性・やる気)、忍耐力、セルフコントロール(自制心・理性・精神力)、社会的能力(協調性・行動力)など、学力以上に人生で大切な能力と我々は考えています。

そんな非認知能力はどうやって育まれるのか・・・答えは幼年期から学童期の「遊び」です。

遊びとは人間が生まれてから自らの意思で行う最初の一歩であり、つまりは遊びこそが非認知能力と密接に繋がっている。

 

遊びは意思決定を体現し、その中で成長していく

 

サッカーはチームスポーツであるため、他者との関わりから切り離すことはできません。必ず他者との関わりがあり、その仲間と遊ぶことで自然的に社会性や協調性など他者とのコミュニケーション能力が身につくと考えています。

 

「社会性が身につくからサッカーをする」のではなく、「サッカーをしていく中で自然と社会性が身についていた」

 

他者との関わりの中での立ち振る舞いやモラル、ルールなどの人間関係を”自然に”学ぶ環境を作ることを目指しています。

 

 


大切なのは「遊び」は「適当」ではない


ここまであげたキーワードから、「FINELUZはただ子供に適当に遊ばせているだけで指導はしない」と思われる方もいると思います。

 

勘違いして欲しくないのは、「遊び」とは「遊ぶような感覚で主体的に取り組めるトレーニング」とそれを実践出来る「雰囲気」を表現していることです。

 

子供たちが自分の意志で積極的に且つ主体的に取り組める遊びの中に、サッカーの要素が入ったトレーニングメニューを用意し、子供たちにとって適切なタイミングで適切なヒントを与えることを我々スタッフは取り組んでいます。

 

なので「遊び」=「適当」ではありません。むしろ「遊び」だからこそ子供たちも我々大人も「真剣」に取り組んでいます。